3月6日(日) 春っぽくなってきた

前いたところから帰ってきて、しばらく家族と一緒に暮らしてみて、思ったより苦しかった。

それは今の自分の置かれている状況というより、愛を失ったからだったようだ。

別に、きっと恋人は今でも想っていてくれるだろう。

ただそれは想像でそう思うだけで、たとえ本当にそうであったとしても現実ではない。

それを示すものは何も目の前にないから。

自分で思っていた以上に愛していたようだ。

今の環境だって悪くないはずなのに。むしろ恵まれているはずなのに。

食事の品数も多いし本がたくさん読める。自分のお気に入りの机で好きなだけ勉強もできるしテレビもなんでも見れる。出歩くことは相変わらず窮屈だけれど、家の中の生活だったらきっととても充実してるはず。

でも、それらで満たされるようなものでもないのが自分の心だったらしい。

恋人と一緒ならば、たとえご飯とみそ汁だけの質素な食事だって、カップラーメンだって、幸せに食べれただろう。大半を一緒に居れなくても、夜にふたりで近くのコンビニまで歩くだけでこの上なく楽しいだろう。

今、生活のどこからも恋人が消え失せて、過去の思い出にしかない。

それが何より空虚で、胸にぽっかり大きな穴を空けている。

重く吐いた息は、その大きな穴に吸い込まれていく。心臓がずしんと重い。

しかし、一安心できるところもある。

消え失せた今の生活が当たり前になってきたから。

よかった。

相変わらず穴はふさがらないままで、苦しくてたまらないけれども、SNSに期待することが無くなった。

なんでこんなに苦しいんだろうと思うけど、この苦しみを放棄しようとも思わない。

幸せなことはいいことだ。好きな人と一緒に居て、楽しく幸せに居れたらそりゃあいいものだろう。

でもそのほわほわした「いいもの」の中じゃあ、考えられないことがたくさんある。

さびしくて、苦しくて、つらくてたまらないからこそ、学ぼうともがいている。

 

現実は苦い。

苦しさなんて、憎たらしくてたまらないのに、それがたしかに自分を成長に導いている。

世間の価値観に沿って考えていると、自分はなんて馬鹿なことをしてきたんだろうと悔いる。

けどその失敗は、馬鹿げた行動は、自分をたくましくしてくれた。

今の自分はその失敗をする前の自分よりはるかにたくましいぞ、と胸を張って言える。馬鹿な失敗だったかもしれないけど、そのおかげでわたしはこうして進めている。

誇らしい行動だったのだ。

自分の価値観に沿えば、そうも思える。

あれやこれや馬鹿やったおかげで、こんなにいろんなことに挑戦できたし、これからもできそうだよ。ありがとアホな自分。

地の底を生きるかのような気分を味わう時もあるけど、浮上したいとも思わない。

今の自分には地の底が合っているようだ。

世間の価値観に触れる度、浮上した自分を想像してしまうのだが、それはどれもいけ好かないペラッペラの自分だった。そう、かつての馬鹿な自分。今でも私の中にいる。人と比べて見下して馬鹿にして自分を何者かと思い込みたいような、そんなバカな私。

もう、こんなに馬鹿なんだから、地の底でじりじり生きればいいんだよ。

かつて自分が見下していたのは、地の底に居る限り自分に跳ね返ってくる。

今度はわたしが見下されて上から踏みつけられるのかもしれない。でもそれを甘受することは、そうした次元から解放されることとつながっているような気がする。

だから、地の底で、踏まれるなら思う存分踏みつけられればいい。自分なんて。

それもきっと、わたしのためになるんだろう。