1月13日(水) いい天気

昼まで寝てた。ゆっくりと。

この間、職場の人と飲む機会があった。
短い付き合いしか無い職場だからこそ、欲望が顕著に現れるんだろうか。
いい人だと思っていた人たちの、「いい人では無い」部分が顔を出して、
期待を裏切られたような寂しい気分。こんなもんなんだなって気分。
でもまあ、それも含めて、嫌いじゃなかったなって気分。

Facebookとか、Twitterとか、リアルと結びついたSNSでは
みんながみんな、綺麗なこと書いて、キラキラした投稿して、いいねをもらう。
それらを通して世間を見ると、まるで綺麗でキラキラしているものばかり価値があるみたいで、
ネガティブな気持ちは肩身がせまい。

私なんて、話すことは苦手だしいつもネガティブな気持ちで埋め尽くされてる。
幸せっていうふわふわ浮ついた気持ちが苦手だとも言える。
根暗で、無口で、つまらない。自虐の定石はそんな文句。

職場の人に無口だねって言われた時は、悪く思われているのかと思ったけれど、
そのあとも付き合っていく上でよくよく見てみると、嫌われてはいないみたい。
むしろ、十分すぎるほど良くしてもらってる。
自分が彼らの良いところ悪いところ含めて気に入っているのと同じように、もしかしたら
無口でも、根暗でも、つまらない私でも、少しは気に入ってもらえているのかもしれない。
そんな風にして、自分は自分のままでも、人と付き合っていけるのかもしれない。

綺麗でキラキラした感情は、私には似合わないと思う。
苦しみとか、寂しさとか、怒りとか、そんな感情が私らしいと思う。
幸せなんて浮ついたものより、不幸の方がずしんと沈み込んで重みがあって、美しいとも思う。
そんなネガティブな色合いをしている人間は、きっと世間の価値観とは合わないんだろう。
でも、それで良い。
どんどん世間と溝ができてくれて良い。世間とは、気が合わないみたいだから。
ネガティブな感情を、それを持った自分を、愛おしく思える。
同じように、ネガティブな感情に苦しむ人間を、好きだと思える。
なんてマイナス一直線な生き方なんだろうって客観的に見ると思うけど
そのマイナスが自分らしさってことで良いんじゃ無いのかな。
日々、世間と溝が深まるけれど、その分自己への愛が深まる。
自分への愛の方が大事なんじゃ無いかってことは、わかりきってるよね。
不幸で良いんだって思ってるくせして、そんな自分への愛情で、いつだってほんのり幸せなんだから。
もしかしたら、どんなキラキラしたフツーの人たちよりも、幸せなんじゃ無いの。なんちゃって。