人生最大の危険は、自分のことだけ考えること(アドラー)

決めたことを強行するか立ち止まるか。保留という選択肢をとるのも勇気だ。

新卒で入社した会社では、辛くて辛くてたまらないときに「絶対にやめる!」と決めた。

辞めるんだ辞めるんだと呪文のように唱えながら毎日をやり過ごし、「意外と大丈夫になってきた」と思えるまで慣れてきても「辞めるって決めたし」と結局辞めた。

合理的な理由をひねり出して辞める選択を裏付けようとするけれど、その理由は理にかなっているように見せかけて大前提としてもう選択肢が決まっていてその後付けとして無理やりくっつけただけのもので本当の理由ではない。

こんなことが結構ある。

私にとって、決めたことを覆すことのほうが難しい。

「武士に二言はない」ではないけれど、「やっぱやめる」というのがどうにもできない。

そのくせその選択はけっこう気分で決められていて理由などは後付けときた。

道理でめちゃくちゃな人生を歩んでいるわけだ。

その時その時合理的な理由を一応つけているから、「ちゃんと考えて選んだ」と思い込んでいるだけで、本当はその場その場でなんとなくで決めていたんだと思う。

選択の軸なんてものはたぶん無い。

しかし一度決定を下すとその塗り固めに色々理由を見つけてきて付箋に書いてぺたぺたと貼り付けていく。

そうして当初の決定した時の気持ちはありあわせの理由で隠されてしまうのだ。

決定が下されればその問題はもう過去のもの。

過去になればもうそれは手出しのできない確固たる存在になるわけだ。

その決定を疑う気持ちはちょくちょく沸いては来るが、その居心地の悪いものは当然いやなのでそれを振り払うためにも行動を移すことを急ぐ。

決定を覆すなんて考えるだけでモヤモヤが止まらない。

だからいつも決めたことを迷ったまま強行してピリオドを無理やり打つ。

周りからは行動力があると思われているみたいだけれど、これではただのアホというか、向こう見ずというか、強迫観念にとらわれすぎているというか。

まさにそんな感じでわたしの思考はあまりにも薄っぺらい。

もっと深めることができたらいいのに。どこに行ったんだかつてのわたしは。

 

最近ずっと仕事でイライラしていて、余裕が全くない。

こっちに越してきたころ、若くて綺麗なお姉さんに駅のホームで舌打ちされたりサラリーマンにバッグで殴られたりして「こっちの人たちはなんて心に余裕がないんだろう」「わたしは故郷の寛容な心を大切に生活しなくちゃな」と思っていたことが懐かしい。

今ではわたしもナチュラルに舌打ちしちゃってることがたまにある。

ああ、悪いほうの人種に踏み出しちゃったとは。

仕事を通していろんな人と会うけれど、こちらの人は両極端だ。

こちらが恐縮してしまうほど礼儀正しい人と、ビックリするほど理不尽ですぐ声を荒げる威圧的な人。

そしてその大半は見た目じゃ判断がつかない。

小綺麗でおしとやかで静かな若い女性が唐突に威圧してきたり、めちゃくちゃラフな恰好でいかつい顔したおじさんが顔ほころばせて心からお礼を言ってくれたり。

たまに完全なる八つ当たりで難癖をつけてくる人もいる。

「なんでこんなに怒れるんだろう」「よくそんなエネルギーが湧いてくるなあ」なんて思っていたけれど、今ならちょっと分かる気もする。

私も、こちらでの生活で随分とイライラがたまった。

毎朝毎晩の電車では不愉快な思いをすることも多い。変な人が乗っていて奇声をあげたり、お酒臭い中年サラリーマンや加齢臭漂うおじさんたち、女性専用車両と知って平然と乗ってくる変なおっちゃん、タバコ臭、舌打ち、肘鉄、割り込み。

仕事ではハイレベルな仕事ぶりを求められ、期待に応えて頑張ったところで報われることはなかなかない。仕事ができればそれだけの労働力を搾取されて終わるのだ。

帰宅して家事をしたらほとんどもう自分の時間は残らない。

彼と一緒に過ごすと無駄に時間ばかりが過ぎてなかなか一人でゆっくりする時間がない。

ああしなきゃ、こうしなきゃ、あれがだめだこれがだめだ、頭の中はいつもぐるぐる考え事が回っていて、時間が足りないと整理もできないまま時間ばかりが過ぎてゆく。

そのうち、何もかもにイライラして、投げ出したくなる。

「もう嫌だ。こんな生活もこんな仕事もこんな街ももう嫌だ」なんて。

きっとこんな風な怒りやイライラが自分の中に渦巻いていて、行き場がないのだ。

行き場がなくて発散できないのが苦しいのだ。

怒りを受け止めてくれる何かが欲しくて怒鳴るのだ。当たり散らすのだ。

自分が「お客様」なら相手はこの怒りを受け止めるしかないのだと、立場を利用して

内にこもった負のエネルギーを発散させるしかできないのだ。

きっと彼らは、そうやってようやく怒りをぶつける先を見つけてなんとかバランスを保っているんだろう。

自分の周りや自分自身の何もかもが嫌になったところで、変えることも気持ちをぶつけることも出来ないから。

そう思うと憐れだ。

負のエネルギーをどう循環させるか、わからない人はたくさんいる。

 

今日は不思議なことに、日頃のイライラがすっと消えた。

良いことがあったわけでもなく、逆に今日は散々だった。

だけどなんだか、本当になんとなくだけれど、仕事についての選択肢でほぼ決めかかっていた決意を、保留にしてみた。

嫌なことがあったのになんでそうなったのかよくわからないけれど、そうしてみたら肩が軽くなった気がする。

まだまだ先が見えない毎日で気がめいりそうだし、先を見ようとすればするほど自分の人生に吐き気がしてくるけれど、それではあまりにも自分と自分の周りの人間がかわいそうだから必死に前向きな気持ちへ方向転換させていこう。

12℃/3℃ 雨

年が明けました。

丸々一か月が経ってしまったけれどたった一か月とは思えないくらい長かった。

この間めでたく婚約指輪をもらい結婚指輪も大体決まり入籍日も候補を決め、結婚というものが現実味を若干帯びてきた。

婚約指輪は一緒に決めたので特にサプライズ感もないままプロポーズされたけれど、されるってわかっててもいざという時は言葉が出てこず頷くだけで精一杯だった。

その後は私が具体的に話そうとしても抜けた返事しか来ずしばらく「この人本当に結婚する気があるのか?」とへこみまくったけれど彼自ら「入籍日はこの日がいい」と意思表示したのでちゃんと考える気があるようでホッとした。

正月に親戚たちとの話題提供にでもなるかなーと母にだけとりあえず伝えたところ早くも祝い金をもらったらしい。

フライング過ぎる。

まだまだどう進めていけばいいのかわからないままだけれど今年度中にお互いの家族に挨拶して書類集めしていかねば。

結婚式の予算だけが気になりすぎて計算しないと気が休まらないので早くそこだけは話を進めたい。

ゼクシィ買ってお金のページ隅から隅まで読んだところで、自分たちが考えるような結婚式をした例が載っていなくて参考にならない。

結婚指輪は婚約指輪選ぶときに一目ぼれしたけっこう高めのやつを買うことで合意しているので、それをはめる日がくるのがとても楽しみなのだが、手元だけ見ればともかく、全体像を見ると完全に本体である私が指輪に負けまくっているのでそいつを今年は何とかしていきたい。

こんなちんちくりんにはめられた指輪がかわいそうだ…。

という思いから、今年は自分改革と銘打って色々容姿に関することを調べ始めている。

調べてみるとまあ美容には多大なお金がかかるようで。

自分ではよくわからないこと(ファッションやメイクなど)はすべてプロに外注することにしたがこれもまたお金がかかる。

今は情報集めて計算して予算を組みつつある段階だけれど、現実が無慈悲で涙が出る。

そして置いてけぼりになっているプログラミング。

難しすぎて行き詰った後前進しないまま放置されている。困った。

違う視点から勉強してみようかとは思っているものの、考えたいことが多くて後回しにされている。

プログラミングって、調べてもピタッと望んでいるページが出ないんだよね。

調べるのが一番しんどい分野だと思う。

何はともあれ、プログラミングを放置している分時間に余裕ができたので今月中に調べるとこ調べ尽くしたい。

11℃/5℃ 息が白い

プログラミングが上手くいかずイライラが募る。

何時間もかけていくつものファイルを作りつなげて1つのプロジェクトにするも、実行するとエラー、エラー、エラー。

エラーの出所を探すのも楽じゃない。

仕事終わりの限られた時間でしている今、2日かけてプロジェクト作ってそのエラーを1日かけても解消できないというあまりにも時間がかかりすぎる・地道すぎる現状がきつい。

先生もエラーの解決にかなり時間がかかり、思ったよりすんなりいかないものだと実感している。

何度見直したりデバッグしたり色々いじったりしても繰り返すエラーと、その英字の羅列画面に、私のメンタルがやられ泣きたくなった。

しんどい。ここまで意味わかんないと、マジでキレそう。

そう、そこまで理解できてない状況でこの重さのプロジェクト書いてエラーの解決はきつい。

しかも1度に複数の機能つけてまとめてエラーチェックしてるからなおさらエラーの連続と特定の難しさでメンタルにくる。

今度から小分けに進めよう。そうしよう。

 

もう、精神的に息切れしてるかも。

余裕もゆとりも無くて気を緩めれば今にも舌打ちしそう。

あーしんどい。

睡眠が足りてないのもあるけど、仕事での業務配分の不平等さや仕事できない癖にヘラヘラしてるデブスさんへのイライラ、行きも帰りもわちゃわちゃの電車で、外で食べる夕食も高いくせに美味しくもなければ環境も悪い。

落ち着けない。

家でさえ落ち着けない。

朝も夜も限られた時間でやることやるので消耗され、布団に入っても神経が昂っていて微かな音でも寝られない。

もう本当に最悪だ。

電車なんて大嫌いだ。

くさいおっさんは電車に乗らないで欲しいしとろとろ歩くやつは端に寄って欲しいし横幅でかくて私の座席のスペースまではみ出てくるやつは肩を吹っ飛ばしてやりたい。

非常にピリピリしてる。

あーもう。何かをぶっ壊したい。

17℃/8℃ 12月中旬並みの寒さ

先日健康診断で、待ち時間の間に読んでいた雑誌の一節。

社会学的な意味では、財産は3つに分けられる。第一に、金銭や住宅などの経済的財産。第二に、学力や技術、知力などの能力的な財産。第三に、人脈などの人間関係的財産。

 

また、その一節では、その3つの財産に4つ目を付け足していた。

 

第四に、容姿や魅力ある立ち振舞いなどといった女性の美しさの財産。

 

女性ならば4つ目の財産として自分の容姿や魅力を磨き財産に投資せよと言う話だった。

 

昔から人は見た目じゃない、大事なのは中身だといい聞かせられ、

華やかに着飾る人間を遠巻きに見ていたけれど

財産の運用という意味ではどうだったんだろうか。

そういう考え方もあったんだなぁと目から鱗

運用せずあるがままに置いていただけだったことは、資産の運用という意味ではあまりにも消極的過ぎたかもしれない。

もう少し容姿を資産として大切にすべきだなと意識を改めた。

 

また、先にあげた3つの財産のうち、

第三の財産は自分の価値観では蔑ろにされていて、第二が最も尊いとされている。

とはいえ、自分の能力も大事だけれど

自分の出来ないことは必ずあるはずで、それを補いあう為にも人との関係ももう少し大切にすべきなんだろうなぁと。

16℃/9℃ ようやく木曜日

平日の多忙さにへとへとになって迎えた週末、せめて休みの日くらい資格の勉強をしなければと予想問題を解き進めたものの

ふとキャリア面談を思い出した。

簿記を取っても使い道ないんだよなぁ……。

今の仕事でも全く使わないからわからないし難しいし、これから転職する時も全くの異業種。

役に立つとすれば派遣か何かで経理や会計事務やるとしたらなのだろうけど、それってその必要に迫られたときでよくない??

財務諸表も見慣れたしIR読む分には役に立つ程度には学べた。

むしろ今優先すべきなのはプログラミングの勉強なのでは。

ていうかもうへとへとだし。

弱い私は精神力が持ちません。

 

というわけであきらめちゃった。

資格試験という肩の荷をおろした私は、いくぶんか気持ちが楽になった。

まだまだ1週間体力がギリギリの状態で進んでいるけど、簿記とプログラミング二足のわらじよりはだいぶ集中してプログラミングの勉強できるようになった。

あきらめちゃったのは悔しいし正しいのかわからないけどもうしんどい!へとへと!

でもプログラミングの勉強が前よりずっと楽しめるようになったよ!

土日もハッピー!

こうでもしなきゃ毎日を生きていけないよ。

20℃/17℃ 1日24時間

《今日の1日》

4:30  起床、ITスクール課題

5:30  シャワー、身支度、朝食、弁当作り

7:20  外出

8:30  始業

17:15  仕事終わり、図書館で資格試験の勉強

18:00  移動、夕食

19:00  ITスクール

22:00  終了、帰りの電車へ

23:50  帰宅

0:30  就寝

 

 

頑張ってるよね!うん、頑張ってる頑張ってる……必死……

でも資格試験の勉強する時間が全然足りない!

暇がない!!

隙間時間じゃ簿記の計算できる環境もない!

やばい!

22℃/12℃ 温度調節大変

中学生の頃はまっていたオンラインゲームの音楽を今でもまだ聞く。

ダンジョンのBGMを聞くとどこだか思い出したり、狩りやイベントの思い出がわき上がる。

人とは違った中学の思い出。

部活したり友達と遊んだりする思い出が無いかわりに、ゲームの中をかけまわった思い出、ゲームの中で出会った友達との思い出、ひたるように読んだ本の思い出がある。

それらの思い出が今でも大切に思えるから、「それらしい」ことをしなかったあの頃に後悔はない。

今の私にある「自分らしさ」はもしかしたらそのおかげなのかもしれないし。

周りとの価値観の違いや得意不得意は、みんなが通ってきた道を通らなかったからかもしれないけれど、もしもそのおかげで協調性で自分の上に蓋せずにいられるのなら、もしもそのおかげでわずかにでも得ているものがあるのなら、良かったと思う。

自分なりのその「大切な思い出」を思い出して幸せだった時間を呼び起こせる限り、これからも歩んでいけると思う。

今あるものを失っても、自分にくっついてくるその過去があるならば、歩んでいけると思う。